暗殺の天使

『マラーを殺した女 ―暗殺の天使シャルロット・コルデ』 中央公論社
安達正勝(著)
ダヴィッドによる『マラーの死』という実際の死体を前にして描いた(という割には大胆に脚色されているらしいが)絵画のおかげで、随分と有名になっている風呂場で死んでいるマラー。殺したのは、妙齢の美女・シャルロット・コルデ。後に詩人ラマルチーズによって“賞賛と嫌悪との両方を極端に結びつけるため創造された一つの名称”「暗殺の天使」と呼ばれることになる彼女の生涯について詳細に考察した本である。

マラーを殺した理由については、単に思慮が足りない“ぼんやり者”であったのが大きな理由(まわりの情勢に気付いておらず表面的な情報で判断していた)と断言されている。当然それだけだったら何も起こるわけはないが、伴って狂信的なまでな思い込みの強さと、自意識過剰で他を圧倒する行動力の持ち主だったのがこの不幸を呼び込んだという。彼女が暗殺を成功させるまで、周りにいたものは一人としてこの計画に気付かなかった。全てを自分一人で計画し、誰にも相談せず実行した。なんと驚異的な精神力であることか。また、マラーと同じルソーの熱烈な賛美者で、直接行動を求める狂信者、熱烈な愛国者であったなど、二人に共通点をあげ、近親憎悪的側面が含まれていたことが指摘されている。そしてもしシャルロットが地方の貧乏貴族ではなく、パリ市民として生まれていたならば、マラーのよき理解者になったことであろうことも。

もう一つ、彼女を通して浮かびあがってくるのがフランス革命の反女性的な側面。フェミニズムの立場から彼女の行動についてもかなりの紙数が割かれている。
清楚で可憐な女性が、革命の立役者を暗殺するのは確かに絵になる。ジャンヌ・ダルクと同じように彼女の狂信者も出た。何よりも平和を望んだシャルロットが起したことが、彼女の望みとは全て正逆にいったのは歴史の皮肉(というよりもシャルロットの思慮の足りなさの当然の帰結ともいえるかも)だが、歴史に名を残したいという自己顕示欲もあったと思われるので、不名誉なことだが納得しているのかもしれない。

手紙・当時の記録の使い方、一歩離れたとこから人物を描き出しているのはさすが研究者。しかも初学者にも平易に当時の時代背景が説明されているし、註が豊富にはいっているのもよい。文章に対象人物への暖かなまなざしが感じられるのは、同著者の『サンソン』と同じ。しかし、「ぼんやり者」という表現は身も蓋も無いな。