2月に入ってから劇場で観た映画

面倒なので、まとめてテケトーに。
カンフー・ハッスル
ベタベタのギャグは相変わらず。明らかに日本の漫画の影響が見られる。主人公のストーリへの関わり方が、唐突過ぎるのが気になったのと、最期のアクションがインフレーションしすぎで、ちょっと白けた。
あと金庸ネタが豊富にあったな。
ネバーランド
最初の頃の『ピーターパン』の芝居では、子供達は魔法の粉ではなく念じるだけで空が飛べるという設定であったはずだが、という感じで細部へのこだわりはみられない。この映画が終わった時に、隣の席の人(他人)がボソリと「マイケル・ジャクソンが特別出演していれば面白いかったのに」と呟いたので、爆笑しそうになるのを必死で堪えた。
物語の主人公にその名前を与えれらた子供(例えば『不思議の国のアリス』のモデルになったアリス・リデルや『くまのプーさん』のクリストファーロビンなど)は物語世界の主人公と同一視され成人になってから悲惨な目にあうことが多いので、実際の人物のピーターのその後が知りたく思いググってみたが見つからなかった。どうなったのだろうか。
Mr.インクレディブル
ちゃんとアメコミしているんだよね。観ていて気持ちよかったので、よきかな。次回作もやらないかな。
スーパーサイズミー
1ヶ月間、マクドナルドの商品だけで過ごしたらどうなるのか?というドキュメンタリー映画。必要以上に過剰に食べているので、体壊すのは当たり前かと。
観終わって気分が悪くなった。
オーシャンズ 12』
シナリオに穴があるのは、それを楽しむ映画じゃないので構わないのだが、あまりにスターを使っていることを意識しすぎなのもシンドイ。

JCP 論文アクセプトの報が来る。
IVR 型の半古典論の相関関数に対称性を組み込んだ場合の結果についての報告。やられていそうで、意外とやられていなかった仕事。1月初旬に投稿だったので、早かった。
…一度、図が多すぎる、文章が長すぎる、英語が砕けすぎ、とレフェリーに言われて書き直したけど。

PORT-ELLEN

某大のKKC 助教授に誘われて、横浜の時代屋とグローリーを梯子。
bar に来るのも久しぶりだし、シングル・モルトを飲むのもD 論執筆中は止めていたのたで、ご無沙汰である。
大好きなラフロイグ(カクス 15年)から始まって、アードベグ(16年)とラガヴーリン(15年?)などを飲む。それからグローリーでポートエレンを飲ませていただく。もう20年前に休業状態に入っているため、大変珍しい。正直言って、それほど美味いとは感じなかったが、飲めたことはとても嬉しかった。

L' HOMME DU TRAIN 

列車に乗った男』仏・独・英・瑞(2002)
監督:パトリス・ルコント、主演: ジャン・ロシュフォール
ジョニー・アリディ

田舎町に銀行強盗にきた中年男が、詩を教える老紳士と出会うことになる。泊まる場所が無いため、老紳士の屋敷に滞在することになり、奇しくも老人の手術予定日と強盗の決行日が同じであるため、その日まで奇妙な共同生活をすることになる。違う人生を歩みたかった(母親の束縛のため出来なかった)老人と、逆に静かな生活を求めている男。お互いの人生を入れ替えたかった二人。
老人が新しい一歩と言って、レストランで騒ぐ若者を叱りつけたら、昔の生徒だったり、室内スリッパを始めて履いて歓ぶ中年男など一つ一つのシーンや台詞が練られており、またパン屋の女将やら一日に一言しか喋らない男、驚異的な詩の解釈をする生徒などの周辺人物にも哀愁を持つおかしさがあって、隅々まで意識が行き届いており片時も目が離せない。
ラストシーンに於いては、列車に乗る男が逆になる(それが現実か虚構かを宙吊りにしたまま)のは冒頭ときちんと呼応していて至極真面目な終わり方に成っている。
フランス映画らしい、フランス映画。

Search engine system clash

サーチエンジン・システム・クラッシュ』 文春文庫
宮沢 章夫 (著)
エッセイは読んだことがあった宮沢章夫氏の芥川賞受賞作。文庫落ちしたので、この機会に。
表題作は、何かを探そうとすると違うものが見つかってしまい、巻き込まれていくという話。「生きているのか死んでいるのかさえ、わからない。その曖昧さに耐えられるか? 」という言葉が象徴しているように、曖昧な迷宮に入り込み、途中で自分の名前すら曖昧になってしまう。現在社会のアイロニーというよりも、一種の不条理小説として楽しんだ。主人公が言葉の意味を考えるにつれゲシュタルト崩壊を起こしそうに成ってしまう描写があるが、エッセイでの常に発言の主体や細かい文脈上の意味を気にしてしまう著者が垣間見れる。

同時収録の『草の上のキューブ』は、最終的に方言がなくなってしまう様にインターネットによる地域性の消失やら、クラッキングによる自分の存在を消そうとする試みなど、発表された時期を考えてもちょっと凡庸かなぁ。あと若者の描き方が説教臭い部分があるというか…。

King Arthur

キング・アーサーアメリカ(2004)
製作:ジェリー・ブラッカイマー、監督:アントワーン・フークア

アーサー王の起源をローマ人の司令官の説を取り、歴史物語として描いた作品。したがって、円卓の騎士はサルマートの騎馬民族となっている。ファンタジーとして描かれたアーサー王物語を歴史モノに回収しようとしている試みは新しいと思うが、楽しいかというとそうでもない。グウィネヴィアに至っては、現地人の女戦士となっており、`勇ましく弓矢で戦闘に参加する。有名な三角関係は表面化せず、ランスロット君が色目を使っているぐらいで、ロマンスのカケラも出てこない。名前だけ出てくるエクスカリバーやら、ランスロットがマダムキラーであることを強調するなど、なくてもよいのではないだろうか。